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家系は陽成源氏、相続は清和源氏

 村上一族が「清和源氏か村上源氏か」を論じている村上清氏の説によれば、元平親王の別名が経基王で次子が源経基なので同一人物と誤った伝承により系図が編成されたと推定している。
 元平親王と経基王の生没年が一致することは偶然ではなく同一人物で、従来の源経基を経基王(894−957)、源経基(917-961)の二人に分解することで矛盾が解消するとの説を立てている。
 河内石川庄の相続は、星野説の誉田山陵(応神天皇陵)に納めた永承元年告文「先人新発、其先経基、其先元平親王、其先陽成天皇」に一致する様に貞純親王の名跡を嗣ぐ形で経基が清和源氏を称したとしている。
 しかし村上系図の多くは源経基を清和源氏としており巷間の諸系図と同様である。
 経基王の曾孫頼清は村上源氏憲定の養子となったが、源満仲以来領地の信濃国村上御厨を相続して子孫は村上を称したので頼清流は家系的には村上源氏、相続は清和源氏となるのである。
 伊予村上氏も清和源氏だが、後世に村上源氏から養子を迎えている。
 村上源氏は師房が摂関家藤原道長の女婿となり頼通の養子となるなど源氏長者としての公家源氏筆頭で、家紋は笹竜胆を使用することから俗説では源氏全体の家紋として誤認されている。


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