Q & A 

10大姓の分析

 六十余州にあまねく繁衍した天下の大姓に共通していることは、一都三県(東京、神奈川、千葉、埼玉)と北海道に人口が集中している。 一方で各県旧郡部は流入人口が少なく、地方特有の苗字比率が高い傾向にある。
 旧幕時代は越後(現・新潟県)が最大の人口を抱えていたが、明治に東京が首都になると全国各地から一都三県に移住が加速、戦後は南関東工業地帯(京浜、京葉)へ全国各地からの集団就職などで更に集中が進んだ。
 北海道は幕末に約七万人の人口が、明治の全国各地から武士の大量入植に始まり、さらに鉱工業の隆盛により現在560万人を超える全国七位に膨張している。   県別人口分布    明治以降の都市化
 一都三県一道の苗字別占有率は全国平均に近く、西日本の大都市よりも地方性が薄れている。
 沖縄県は明治5年琉球藩設置、明治12年廃藩置県、戦後は一時米国領という特殊な事情があり、沖縄特有の苗字別占有率が保存されており10大姓は沖縄県苗字十傑にひとつもない。

順位 苗字

代表家紋

寛政譜 加賀藩  
佐藤 11家 5家 県別人口分布と出自
鈴木 64家 5家 県別人口分布と出自
高橋 10家 7家 県別人口分布と出自
田中 21家 2家 県別人口分布と出自
渡辺 41家 17家 県別人口分布と出自
順位 苗字

代表家紋

寛政譜 加賀藩  
伊藤 18家 10家 県別人口分布と出自
山本 42家 18家 県別人口分布と出自
中村 20家 34家 県別人口分布と出自
小林 52家 2家 県別人口分布と出自
10 斎藤 32家 11家 県別人口分布と出自
※各苗字の代表家紋は他にも多く、主要苗字代表家紋を参照のこと。
※寛政譜は寛政重修諸家譜に記載の家数、加賀藩は加賀藩給帳に記載の家数。

1位 佐藤                       10大姓トップへ戻る

 佐藤姓は、藤原秀郷の六世孫、左衛門尉公清が佐藤を称するに始まる。
 一都三県一道を除けば、宮城県、福島県、秋田県、山形県など東北地方に多い。
 東北に多い理由は、公輔の子師清が出羽守の任期後に岩代国信夫郡佐場野邑に在住、曾孫師信は保延六年(1140)信夫庄司となり、子孫が奥羽地方に繁栄したことである。
 後裔の佐藤継信・忠信の兄弟は源義経に終始随身して平家追討の諸戦に従ったことは有名である。
 佐藤公清の曾孫義清は鳥羽院の北面の武士として仕えたが保延六年出家、西行法師となり歌人として有名である。
 東北以外に多い新潟県の佐藤氏は佐渡守公清の佐渡+藤原、大分県の佐藤氏は佐藤公清の弟佐伯(波多野)経範の子孫で佐伯+藤原という複数由来説も存在する。 下野国佐野説もあるが現在の栃木県に佐藤姓は意外と少ない。
 また佐藤は一般的に官職名由来と理解されているが、岩代国河沼郡佐藤分、越後国苅羽郡佐藤池新田、遠江郡敷地郡佐藤一色邑、三河国渥美郡佐藤邑、阿波国名西郡佐藤塚邑などがあり、佐藤氏の移住により地名が付けられ後世にその地名を負った佐藤氏が多いものと思われる。


2位 鈴木                       10大姓トップへ戻る

 鈴木姓は、物部氏族の穂積国興の三男基行が鈴木を称するに始まる。
 大姓の出自の主流が源平藤橘と称する中で、鈴木姓は穂積を主流としている。
 紀伊国牟婁郡熊野邑が発祥地のち名草郡藤白浦が本拠地、諸国の鈴木氏は此の流より分かれたと伝えられる。
 藤白神社は熊野権現九十九王子社の別格五体王子の一つで、源義経に仕えた鈴木三郎重家は藤白地頭である。
 一都三県一道を除けば、静岡県、愛知県がダントツに多く関東以北にも多いが、発祥地の和歌山県には少ない。
 愛知県に多い理由は、奥州平泉への途次、病の為に三河の留まった重次が三河鈴木党の祖となり松平家臣となったことに因る。 三河松平氏の出自については諸説があるが、元は鈴木党で松平の地名を称したという異説もある。
 三河鈴木氏の家紋は藤で、松平太郎左衛門家の家紋が藤輪に三つ葉葵という事実が両氏の間柄を暗示させる。
 静岡県に多い理由は、建武年中、熊野水軍の鈴木重行が鎌倉公方に招かれて伊豆国田方郡への来往も影響する。
 また熊野新宮神職に鈴木氏多く、熊野三山の末社は約三千、六十余州に熊野神社の無い国は無く、熊野神社勧請の方面でも鈴木姓が全国に広まったのである。


3位 高橋                       10大姓トップへ戻る

 高橋姓は、皇別系大彦命後裔の高橋朝臣、神別系物部氏族の高橋連の他、源平藤橘紀を始め越智氏、大宅氏、大蔵氏など多彩な出自が存在する。上古の発祥地は大和国添上郡高橋邑で氏神の高橋神社が鎮座する。
 一都三県一道を除けば、宮城県、岩手県、秋田県、新潟県、静岡県などに多い。
 天武朝に内膳司の膳臣が高橋朝臣を改賜姓されたのは、祖先磐鹿六雁命の功業と景行帝の宣命に拠る。
 神亀元年(724)物部氏族の高橋安麻呂は、蝦夷反乱に際しては藤原宇合の副将として出陣している。
 当時の土着した子孫や家臣が多いようで、現在も東北地方に高橋姓が多く分布する。
 越後(新潟県)高橋氏の代表は越後弥彦大宮司家で、系図記載の大宅光任から敏達帝裔の大宅氏である。
 静岡県高橋氏の代表は、駿河国庵原郡高橋邑発祥の大宅氏(敏達帝裔)で越後高橋氏は同族である。
 大宅氏系高橋氏の子孫は、備中、石見へも繁衍。石清水祠官高橋氏は紀姓。能因法師裔の高橋氏は橘姓。
 伊予(愛媛県)高橋氏の代表は、大三島神社大祝家にて越智姓である。
 福岡県高橋氏の代表は、筑後国御原郡高橋邑発祥の大蔵姓で、二十三代鑑種は藤原姓大友氏より入嗣する。


位 田中                       10大姓トップへ戻る

 田中姓は、一都三県一道を除けば、大阪府、福岡県、兵庫県、愛知県、京都府など西日本に多い。
 上古の発祥地は大和国高市郡田中邑。天津彦根命の後裔倭田中直の神別系田中氏は、凡河内(のちの河内地域)国造と同族、他に蘇我稲目の子田中刀名に始まる皇別系田中氏は、天武朝13年朝臣姓を賜姓される。
 畿内には山城国愛宕郡、大和国添上郡、添下郡、摂津国川辺郡、兎原郡、島下郡、有馬郡、和泉国大鳥郡などにも田中邑がある。大阪府の田中氏は、摂津の嵯峨源氏、藤原氏摂家流、河内の藤原姓、和泉の清和源氏新田氏族など。
 福岡県の田中氏は、近江国高島郡田中邑発祥の橘姓、筑後宇都宮氏族の藤原姓など。
 兵庫県の田中氏は、播磨の村上源氏赤松氏族、但馬の日下部姓、丹波の宇多源氏佐々木氏族など。
 愛知県の田中氏は、三河の藤原氏貞嗣流など。
 京都府の田中氏は、山城の石清水祠官の紀姓、下鴨社の賀茂姓、丹波・丹後は宇多源氏佐々木氏族など。
 滋賀県の田中氏は少ないが、近江国高島郡田中邑発祥の宇多源氏佐々木氏族(愛知氏流、高島氏流、京極氏流)、高階姓高氏流、橘姓などの田中氏が西遷して西南日本へ拡がったことがうかがえる。


5位 渡辺                       10大姓トップへ戻る

 渡辺姓は、嵯峨天皇の皇子河原左大臣源融の玄孫渡辺綱に始まる。 摂津国西成郡渡辺が発祥地。
 一都三県一道を除けば、新潟県、福島県、静岡県、愛知県、大阪府、山梨県など関西以東に多い。
 新潟県の渡辺氏は、綱の後裔源大夫定の後裔で、種が越後国三島郡瓜生邑に在住して後裔は越前国南条郡に遷る、ほかに越後国刈羽郡赤田保地頭となった等の系統があり、比較的神職に渡辺姓が多い。
 福島県の渡辺氏は、綱の八世孫光房の裔が伊佐須美神社禰宜になったのを始め神職に渡辺姓が多い。
 静岡県の渡辺氏は、繁に始まる駿河興津氏家人の渡辺氏で、後裔の徳島藩士芳川顕正が世に聞こえる。
 愛知県の渡辺氏は、渡辺宗家の流れで道綱の代に三河国額田郡浦辺に在住、後裔の守綱は慶長18年大名となる。
 大阪府の渡辺氏は、発祥地でもあり源頼光の後裔源頼政に仕えて延元2年に摂津国難波地頭職、続いて室町幕臣、織田家臣、豊臣家臣、徳川幕臣として明治に至った。支流も多く楠木家臣渡辺氏もある。
 山梨県の渡辺氏は、綱の玄孫好が甲斐掾となり赴任、後裔の知は武田氏に仕え甲斐囚嶽佐家渡辺氏と呼ばれ、支流も一条氏、加賀美氏などに仕えて武田滅亡後も徳川幕臣となり、甲斐全域に繁衍して山梨県首位の大姓となる。


6位 伊藤                       10大姓トップへ戻る

 伊藤姓は、藤原秀郷裔の佐藤公清の曾孫基景が伊勢に在住し、伊藤を称するに始まる。
 ほかに伊豆国田方郡伊東庄発祥の藤原南家為憲流の異流伊東氏が、各地に繁衍して伊藤の表記を互用する。
 一都三県一道を除けば、愛知県がダントツに多く、発祥地三重県のほか静岡県など東海地方に多い。
 愛知県の伊藤氏は、伊勢発祥の基景の後裔が大半だが、伊東長時が尾張岩倉に在住し孫の長久は信長に仕え、曾孫の長実は伊藤を称して秀吉・家康に仕え、のち伊東に表記を戻した様で他にも伊藤・伊東の互用例は多い。
 名古屋の松坂屋は織田信長の小姓の一人伊藤蘭丸祐広の子次郎衛門祐道を祖として、子の祐基が「いとう呉服店」を開業、後に江戸上野の松坂屋を買収して「松坂屋いとう呉服店」と称して明治に現在の「松坂屋」となる。
 三重県の伊藤氏は、基景の後裔が大半だが、伊豆発祥の藤原南家伊東氏が来往して相互に伊藤・伊東を混用。
 源平時代、平家に属して伊藤景清、伊藤忠光、伊藤忠清などの武勇に秀でた士を輩出している。
 静岡県の伊藤氏は遠江に多く、恐らく藤原南家為憲流相良氏の頼尭が伊藤を称した後裔と思われる。
 初代総理伊藤博文は、伊予河野氏の流れを汲む林十蔵の子で長州藩の仲間伊藤武兵衛の養子となり伊藤を名乗る。


7位 山本                       10大姓トップへ戻る

 山本姓は、武家では清和源氏義光流、清和源氏義重流新田氏族、清和源氏満政流木田氏族、桓武平氏繁盛流大掾氏族、藤原氏隆家流菊池氏族、藤原氏利仁流、菅原姓、日下部姓など、神官系では賀茂県主姓、荒木田姓、度会姓、藤原氏利仁流など、その他に宇治の茶師山本氏、宋帰化族張姓山本氏など多彩な出自が存在する。
 一都三県一道を除けば、大阪府、兵庫県、愛知県、静岡県、福岡県、京都府など関西から東海に多く、特に兵庫県、奈良県、和歌山県、富山県、石川県、岡山県、山口県、高知県では首位の大姓で西日本に多い。
 大阪府の山本氏は、河内に近江国浅井郡山本郷発祥の清和源氏義光流山本氏、和泉に鳥取氏(角凝命裔)の後裔。
 兵庫県の山本氏は、摂津に清和源氏義光流山本氏、但馬に日下部姓、丹波に宇多源氏佐々木氏族。
 愛知県の山本氏は、尾張に清和源氏義光流山本氏族の後裔、間野邑重が山本に復す、三河にも義光流山本氏。
 静岡県の山本氏は、駿河に有名な山本勘助は清和源氏満政流木田氏族、伊豆にも清和源氏義光流山本氏。
 福岡県の山本氏は、筑前に清和源氏義重流新田氏族山本氏、筑後に藤原氏隆家流菊池氏族山本氏。
 京都府の山本氏は、両賀茂社に賀茂県主姓山本氏、藤原氏公季流の堂上家山本氏など。


8位 中村                       10大姓トップへ戻る

 中村姓は、中村連(天児屋根命裔)、上毛野中村公、清和源氏、村上源氏、宇多源氏、桓武平氏、藤原氏、橘姓、丹党、小野姓横山党、紀姓、諏訪神家族、荒木田姓、伊伎姓などを始め異流の多い苗字の中でも筆頭と言われる。
 一都三県一道を除けば、大阪府、福岡県、兵庫県、静岡県、長野県、京都府、三重県など西日本に多い。
 大阪府の中村氏は、摂津国川辺郡中村発祥の清和源氏頼光流多田氏族、河内国石川郡中村発祥の中臣姓和田氏族、和泉国和泉郡中村発祥の藤原姓など。
 福岡県の中村氏は、藤原氏隆家流高木氏族。 兵庫県の中村氏は、村上源氏赤松氏族。
 静岡県の中村氏は、遠江国城飼郡笠原庄中村郷発祥の紀姓。
 長野県の中村氏は、信濃国諏訪郡中村発祥の諏訪神家族、清和源氏満快流。
 京都府の中村氏は、山城国綴喜郡中村郷発祥の藤原南家巨勢麿流、伊伎姓松尾社家、梨園中村氏は橘姓など。
 三重県の中村氏は、伊勢国朝明郡中村発祥の清和源氏頼光流舟木氏族、伊勢国度会郡中村発祥の荒木田姓、伊賀国名張郡中村発祥の名張氏族(安寧帝裔)など。


9位 小林                       10大姓トップへ戻る

 小林姓は、信濃国伊那郡小林邑発祥、諏訪神家族、清和源氏満快流知久氏族、上野国緑野郡小林邑発祥の清和源氏為義流などが主流、他に村上源氏、桓武平氏、藤原氏、橘姓、菅原姓、大神姓、壬生姓、小子部姓など。
一都三県一道を除けば、長野県、新潟県、愛知県、大阪府、兵庫県、群馬県など中央部日本に多い。
 長野県の小林氏は、清和源氏満快流知久興阿の子行阿を祖とするが、源平盛衰記に見える小林神五宗行などの諏訪神家族小林氏と上野発祥の清和源氏系小林氏が交錯して後世清和源氏、藤原姓を称した一族も多いものと見られる。
 新潟県の小林氏は、上杉謙信侍大将、越後国魚沼郡弥彦神社社家、越後国蒲原郡広瀬邑三島神社神職など。
 愛知県の小林氏は、尾張国愛知郡前津小林邑や三河国設楽郡小林邑発祥か。藤原氏秀郷流伊賀氏族、同良門流等。
 大阪府の小林氏は、摂津国島上郡小林郷、和泉国少林寺町少林寺など発祥。
 兵庫県の小林氏は、摂津国武庫郡小林邑、播磨国印南郡小林邑が発祥地と思われるが、村上源氏赤松円光の次子小林光義の後裔、他に児玉党四方田高綱の後裔など。
 群馬県の小林氏は、緑野郡小林邑発祥地の桓武平氏良文流高山党、小子部姓、他に山田、勢多、甘楽郡に小林邑。


10位 斎藤                       10大姓トップへ戻る

 斎藤姓は、鎮守府将軍藤原利仁の子、斎宮頭叙用が斎藤を称するに始まる。
一都三県一道を除けば、福島県、山形県、新潟県、宮城県、栃木県、静岡県、秋田県など東日本に多い。
 加賀介斎藤吉信の子伊傳が越前国押領使、その子為延が北陸七ケ国押領使、加賀を起点として越前、能登、越中、越後、佐渡へと北陸道に一族が繁衍して、更に東山道の出羽、陸奥へ進出したことが現在の分布度から推測される。
 斎藤氏諸系は、加賀介吉信の子加賀介忠頼に始まる加賀斎藤、加賀斎藤から分かれた弘岡斎藤、加賀郡吉原邑から吉原斎藤助実、越前国敦賀郡疋田邑から疋田斎藤為頼、疋田斎藤から分かれた鏡庄の鏡斎藤、足羽郡河合庄から河合斎藤助実、河合斎藤から分かれた武蔵国幡羅郡長井庄発祥の長井斎藤および勢多斎藤の8流に分流する。
 源平時代に有名な長井斎藤実盛の父実直は実遠の猶子で、本姓は在原姓で在藤とも称したと伝えられる。
 宮城県、秋田県などの奥羽系斎藤氏の一部は、清原業隆(実は海宿禰姓)の九代孫長定が藤原姓斎藤を称した後裔。
 鎌倉幕臣、室町幕臣の斎藤氏は、疋田斎藤頼基を祖として、山城国宇治郡竹田発祥と伝える。
 土岐家臣から明智家臣となった美濃斎藤氏は河合斎藤の後裔で、美濃国目代となった斎藤親頼を祖とする。


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