Q & A

Q31.古代姓氏が減少、消滅した理由について                           戻 る

A31.和銅六年(713)に諸国郡郷の好字化の詔があり、さらに神亀三年(726)に国名の嘉名二字化の詔があり、地名の唐風嘉名化が八世紀から九世紀にかけて行われている。
 同様に姓氏の唐風嘉名化も盛んになり朝廷からの改賜姓が多くなるが、叙位任官とは無縁な一般民衆には姓は不必要なものであり、後世の苗字化時代には嘉名化した居住地名を名乗ることになる。
 例えば宇自可という稀少姓は播磨国飾磨郡宇自加発祥の彦狭島命裔である宇自可臣末裔だが、承和二年(835)に春庭宿禰に改賜姓、また元慶元年(877)に笠朝臣に改賜姓という具合に多くの宇自可氏が改姓している。
 現在、春庭という苗字は見かけない様に、朝廷が衰微して行くにつれ多くの人々は移住した居住地名を名乗り、本姓は源平藤橘在伴菅紀清などの有力な姓を仮冒したのが真相である。

表記変更年

西暦

藤原

天平神護3

767

清原 弘仁15

824

春澄 貞観3

861

南淵 貞観9

867

大江 貞観10

868

在原 貞観13

871

菅原 貞観15

873

改賜姓年

西暦

新良木舎

清住

天平宝字5

761

上部王 豊原 天平宝字5

761

忍海原 朝野 延暦10

791

伊蘇志 滋野 延暦18

799

猪名部 春澄 天長5

828

伊予部 善道 天長7

830

宇自可 春庭 承和2

835

改賜姓年

西暦

飛鳥戸 御春 承和6

839

佐夜部 善友 承和6

839

筑紫火 忠世 承和15

848

小槻山 興統 嘉祥2

849

和邇部 邇宗 貞観5

863

六人部 善淵 貞観5

863

文部谷 春淵 仁和3

887

 新撰姓氏録の研究

Q32.複姓、複氏について                                    戻 る

A32.上古において本よりの姓に婚姻や下賜により後に姓を重ねて称することで、物部弓削大連、平群文室朝臣、中臣酒人宿禰、佐伯日奉造、東漢坂上直など。
 物部弓削大連は、物部尾興と弓削阿佐姫の婚姻を通じて称したもので以後守屋の系は物部弓削と称するが、道鏡以降は単に弓削を称する。
 古代は四文字姓以上の復姓が多数派だが、時代を経るに従い複姓は廃れて二文字姓あるいは三文字姓となる。
 中古以降も同姓が増加した斎藤は、地名を冠した加賀斎藤、弘岡斎藤、疋田斎藤、鏡斎藤、河合斎藤、長井斎藤、勢多斎藤、吉原斎藤などの復姓が出現するが、後世は斎藤あるいは疋田、鏡というように単姓化する。
 中でも斎田斎藤は、斎藤と単姓化した後も読み方はサイダと読み、ふりがな無しには普通は読めない。
 また同姓の多い加藤の中には、加賀介藤原だけでなく加賀斎藤から転じたものも多いものと思われる。

上 古 複 姓 一 覧

阿倍系

阿倍会津臣、阿倍旦臣、阿倍安積臣、阿倍磐城臣、阿倍内臣、阿倍久努臣、阿倍狛臣、阿倍猿島臣、阿倍信夫臣、阿倍柴田臣、阿倍志斐連、阿倍引田臣、阿倍普勢臣、阿倍陸奥臣、阿倍池田朝臣、阿倍長田朝臣、阿倍小殿朝臣、阿倍渠曽部朝臣

毛野系

上毛野胆沢公、上毛野賀美公、上毛野鍬山公、上毛野佐位朝臣、上毛野坂本公、上毛野中村公、上毛野名取朝臣、上毛野陸奥公、上毛野緑野氏、下毛野川内朝臣、下毛野静戸公、下毛野俯見公、下毛野陸奥公

巨勢系

巨勢神前臣、巨勢楲田氏

蘇我系

蘇我倉山田石川臣、蘇我境部臣、蘇我田口臣、蘇我豊浦臣

平群系

平群豊原朝臣、平群文室朝臣、平群壬生朝臣、平群味酒臣

紀 系

紀忌垣直、紀打原直、紀名草氏、紀辛梶臣、紀河瀬直

大伴系

宇治大伴連、靭大伴部、膳大伴部、无邪志直膳大伴部、大伴大田氏、大伴安積連、大伴櫟津連、大伴朴本連、大伴苅田臣、大伴柴田連、大伴白河連、大伴登美宿禰、大伴行方連、大伴路忌寸、大伴宮城連、大伴山前連、大伴山田連、大伴若宮連、大伴亘理連、佐伯日奉造、佐伯日奉連

中臣系

中臣藍連、中臣伊勢連、中臣伊勢朝臣、中臣表連、中臣占連、中臣殖栗連、中臣大田連、中臣大家連、中臣小殿連、中臣鹿島連、中臣方岳連、中臣片岡連、中臣香積連、中臣葛野連、中臣葛連、中臣熊凝連、中臣熊凝朝臣、中臣栗原連、中臣高良比連、中臣酒人連、中臣酒人宿禰、中臣酒屋連、中臣志斐連、中臣習宜連、中臣習宜朝臣、中臣束連、中臣殿来連、中臣間人連、中臣幡織田連、中臣東連、中臣美濃連、中臣宮処連、中臣宮処朝臣、中臣宮地連、中臣村屋、中臣村山連、中臣丸連、中臣丸朝臣

物部系

阿刀物部、赤間物部、足田物部、菴宜物部、飯高物部、浮田物部、殖栗物部、大豆物部、久米物部、肩野物部、聞物部、坂戸物部、酒人物部、狭竹物部、島戸物部、住跡物部、芹田物部、当麻物部、田尻物部、弦田物部、鳥見物部、相槻物部、贄田物部、播磨物部、羽束物部、尋津物部、布都留物部、二田物部、細部物部、三野物部、網部物部、横田物部、物部飛鳥、物部海連、物部伊勢連、物部射園連、物部榎井連、物部鏡連、物部借馬連、物部肩野連、物部韓国連、物部志陀連、物部斯波連、物部文連、物部依網連、物部依網朝臣、物部浄志朝臣、物部峴度連、物部二田造、物部中原宿禰、物部尋来津首、物部屋形、物部若宮部、物部尾張、物部匝瑳氏、物部多芸氏、物部弓削大連、弓削御浄朝臣

三輪系

大神掃石氏、大神大網造、大神私部公、大神楛田朝臣、大神波多公、大神引田公、大神真神田氏

秦 系

秦井手忌寸、秦長田忌寸、秦川辺忌寸、秦前忌寸、秦常忌寸、秦中家忌寸、秦大蔵連、秦大蔵造、秦佐比佐、秦田村公、秦達布連、秦人広幡、秦原公、依智秦氏、秦井出氏、秦長田氏、秦小宅氏、秦川辺氏、秦栗栖野氏、秦高椅氏、秦長蔵氏、秦物集氏、依智秦勝、大蔵秦公、伊呂具秦公、葛野秦造、朴市秦造、依智秦宿禰

倭漢系

葦屋漢人、高向漢人、新漢人、南淵漢人、志賀漢人、高安漢人、飽波漢人、大友漢人、東漢氏直、倭漢直荒田井、東漢草直、東漢坂上直、東漢長直、東漢書直、漢山口直、東漢費直、東漢文直、河内漢連、川内漢忌寸


Q33.同字異訓、異字同訓の苗字について                           戻 る

A33.日本の苗字の多くは地名や職名由来が多いが、日本漢字の持つ音訓多様性も加わり好字化、当て字化が行われて様々な表記が発生する。 年月と共に同苗字族が増加、移住などで清濁変化や地域による転訛の影響も受けて、読み方や表記の変化が起こり更に多様化する。
 例えば小泓(コブケ)も珍しい苗字だが、小更、小浮気、小武家、古武家と通じ、コフケと濁らない読み方もある。
 恐らく総武軍記に見える小更大膳の末裔で下総国相馬郡小浮気邑発祥である。
 鎌倉時代に安芸に移住したものと思われるが、現在は広島市など安芸地域に多く分布する。
 他に好例として以下に職名系苗字である主なショウジ氏五系を記すが、地名系苗字の東海林氏も庄司職につくことを契機に読みもショウジに変化するが、現代でもトウカイリンと読む東海林氏も存在する。


                  【職名系】
                庄司(ショウジ) 
※ショジ
【地名系】          庄子(ショウジ) 
※ショウシ、ショウコ、ショウゴ、ショジ、シウジ 、シハウジ      
東海林(トウカイリン)────(ショウジ) 
※シオジ
   
※トオカイリン     荘司(ショウジ) ※ソウジ
    
  トオカリン     正司(ショウジ) ※マサシ
     
トウカイ
 

Q34.苗字における俗字、異体字とは?                             戻 る

A34.戸籍謄本に記載された字体は、新字体、旧字体の他に別字体や誤字、俗字の異体字が多数存在する。
 誤字や俗字については、申出有資格者からの申出に基づき市町村長の職権で正字に訂正出来る。
 特に渡辺の「辺」、斎藤の「斎」や「藤」などには多くの異体字が存在する。
 他には高橋の「高」の口高、梯子高や、「橋」の異体字など枚挙にいとまがないのである。
 苗字の人口推計に多用されるNTT電話帳は各地域のNTTの判断で字体を適宜変更して掲載している。
 字体の異なりを厳格にした件数統計は、全国戸籍悉皆調査でも実施しない限り事実上不可能なのである。
 本統計は佐久間ランキングの先例に倣い、字体を統合して人口推計を行っている。 
 例えば字体統合している「斎」は、「斉」、「齊」、「齋」などのJIS登録字体のほか、次のような字体が存在する。

イースト社「人名外字1500V2」より
  
 現代日本の異体字―漢字環境学序説 漢字異体字典  難字・異体字典 普及版
       図解でわかる文字コードのすべて―異体字・難漢字からハングル・梵字まで
      異体字の世界―旧字・俗字・略字の漢字百科 (河出文庫 こ 10-1) 漢字百珍―日本の異体字入門

Q35.姓氏事典の引き方のコツは?                               戻 る

A35.画数で引く場合は、数え方が異なることがあるので、一、二画前後も調べる必要がある。
 苗字は読み方が多いので、上山ならウエヤマが無ければ、カミヤマを引くことである。
 特に注意したいのは、戦前出版の事典では、旧仮名使いを考慮する必要がある。
 麻生(あさふ)、相原(あひはら)、近江(あふみ)、一条(いちでう)、井原(ゐはら)、植田(うゑだ)、上田(うへだ)、大井(おほい)、織田(おだ)、小田(をだ)、河野(かうの)、京極(きゃうごく)、桑山(くはやま)、観世(くゎんぜ)、西郷(さいがう)、相馬(さうま)、塩田(しほた)、庄(しゃう)、周防(すはう)、専当(せんたう)、十河(そかは)、長(ちゃう)、図師(づし)、鳥海(てうかい)、帖佐(てふさ)、直江(なほえ)、新野(にひの)、埴生(はにふ)、土方(ひぢかた)、藤原(ふぢはら)、別当(べったう)、本堂(ほんだう)、毛利(まうり)、結城(ゆふき)、王子(わうじ)など。
 また「ん」は「む」の所にあるので要注意である。
 
 歴史的仮名遣い―その成立と特徴


Q36.苗字の多少は、なぜ生じたのでしょうか?                         戻 る

A36.日本の人口の1割程度が10大姓により占められるが、なぜだろう?
 田中、山本、中村、小林などは各地に地名が多く、苗字の90%以上が地名由来であることを考えれば納得できる。
 しかし、佐藤、鈴木、高橋、渡辺、伊藤、斎藤は、地名はあるものの前の4姓に比較すれば少ない。
 佐藤、伊藤、斎藤は藤原氏、渡辺は嵯峨源氏のいずれも傍流で、初期は宮廷武士を勤め末裔は地方に下向して武士団を構成して栄え、支配下の農民に苗字の下賜を盛んに行った結果、著しく繁衍したのである。
 鈴木は、紀伊や三河に小規模な武士団はあるものの、むしろ熊野神社勧請で全国に広まったのである。
 高橋は、古代の氏族時代から高橋朝臣を称して大和の高橋神社を氏神として栄え、蝦夷反乱に際しては藤原宇合の副将として出陣している。 当時の土着した子孫や家臣が多いようで、現在も東北地方に高橋姓が多く分布する。
 鎌倉幕府は、これらの武士を西国や東北地方に所領を与えて移住させたことから、益々全国的に分布することになる。
 現在の苗字分布は、鎌倉時代から戦国時代末にかけて形成されたものと見られる。
 江戸時代に至っても、寛政重修諸家譜や各藩の分限帳を見ると今日同様に10大姓が多く見られる。

       10大姓の分析
       歴代内閣人名と苗字順位

 
 姓氏・家紋の事典―人口順100大姓 あなたのルーツがわかる
       日本人の苗字―三〇万姓の調査から見えたこと 苗字と名前の歴史 (歴史文化ライブラリー)


Q37.明治新姓は本当に多いのでしょうか?                              戻 る

A37.江戸時代末に苗字を公称した人口は120万人で、総人口3300万人の3.6%である。
 明治に苗字必称令が出て、ほとんどの人が新しい苗字を創り称えたという妄説があるが、それはウソである。
 商人にしても、日常は屋号を公称していたが、先祖代々の苗字を伏せ通称の中に出自を忍ばせており、明治になり晴れて名乗ったのが実情である。 江戸時代に帰農していたものは先祖の苗字を復活させている。
 先祖の苗字不明のものは、居住地名や出身地名を名乗ったりしたのである。
 その影響から田舎では極端な場合、一村同姓などのケースもあり、現在でも屋号などで識別している。
 珍姓の宝庫と言われる新湊市のように、事物の名の苗字が多い地域も中にはあるが、そのような例は稀である。
 僧職者のように、元々苗字の無い人々は、仏典や仏具などより新姓を創出している。
 多くは何処にもある平凡な苗字を名乗り、明治新姓により出現した稀少姓は数こそ多いが人口は稀少である。 

 
 壬申戸籍成立に関する研究 (1979年)


Q38.昔に比較して寿命は伸びたか?                              戻 る

A38.謡曲「敦盛」の一節「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者はあるべきか。」と謡われた様に、古稀と言われた人生七十年時代が訪れたのは20世紀後半のことである。
 比較的直系相続が行われた生没年の明確な藤原氏嫡流を、飛鳥時代の始祖藤原鎌足公から現当主近衛忠W氏までの54代を分析すると平均寿命は56.2歳、平均世代年数は約25年となる。
 意外な事に飛鳥時代から平安時代中期の平均寿命は高く、むしろ戦国時代の当主は更に長命なのである。
 恐らく気温の高低が寿命に影響を及ぼしており、日本列島の寒冷期に寿命が下降している傾向が見られる。
 最近の平均寿命の上昇は、医療技術向上も要因だが地球温暖化も影響しているものと思われる。
 この事実から歴史時代の百年で4世代、千年で40世代が系図の標準的なものである。


   


Q39.昔の地名表記について                                   戻 る

A39.昔は、現在の都道府県に当たる行政単位は国と呼ばれていた。
 律令時代は、国−郡−郷(里)の系列。荘園時代は、国−郡−庄(荘、御薗、御厨、保、杣、牧、院、別符)の系列。
 武家時代は、国−郡−村(町、浦、山)の系列となるが、現在の村と概念が異なるので邑の字を使用する。
 琉球王朝時代の沖縄では、本土の郡に相当するものが間切でその下に村がある。
 苗字の発祥は邑名(大字)が多いが、邑の中の小地名(小字)や地域によっては××名、××免、××郷などから発祥している事例も見られる。
 全国の地名は比較的存続しているが、合併、分離、改称などにより変遷を経ているので注意が必要である。
 現在の地名表記は、県(都、道、府)−市−(区)と県(都、道、府)−郡−町(村)の2系列の表記がある。
 
 倭名類聚鈔〈国郡部〉 (1957年) 荘園志料 (1965年) 旧高旧領取調帳
       増補 大日本地名辞書(全八巻セット)


Q40.旧国界と県境について                                   戻 る

A40.上古の国郡制度による国は明治元年に73カ国となり、明治2年蝦夷にも11カ国が新設される。
 明治4年には廃藩置県が行われ、千二百年以上続いた行政上の旧国界は消滅する。
 現在の47都道府県の境界が最終的にほぼ確定したのは沖縄県が設置された明治12年のことである。 
 現在の県境は旧国領域を改称したものと数カ国を併合した例が多いが、旧国界が錯綜した県境もある。
 主な例は、陸奥二戸郡(岩手県)、陸中鹿角郡(秋田県)、陸前気仙郡(岩手県)、磐城田村、刈田、伊具、亘理郡(宮城県)、羽後飽海郡(山形県)、下総結城、豊田、岡田、猿島郡、相馬郡北部(茨城県)、武蔵橘樹、都筑、久良岐郡(神奈川県)、紀伊南牟婁、北牟婁郡(三重県)、摂津八部、有馬、川辺、兎原、武庫郡(兵庫県)、丹波氷上、多紀郡(兵庫県)、豊前宇佐、下毛郡、上毛郡東部(大分県)、琉球喜界、大島、徳之島、沖永良部、与論島(鹿児島県)。
 上記以外に局所的には旧国界も錯綜しており、また半数以上の都道府県において県境未定の現況が存在する。
 また県境は確定しているが、稜線上に細々と続く回廊県境、水路で繋がる飛地県境なども存在する。
 
     旧国郡区分図
     7.5Kmの稜線上を細々と新潟、福島、山形の県境が続く飯豊回廊
     瀞峡の筏が繋ぐ和歌山県飛地「北山村」、「新宮市飛地」
 
 天保国郡全図でみるものしり江戸諸国 東日本編 天保国郡全図でみるものしり江戸諸国 西日本編
       知らなかった! 驚いた! 日本全国「県境」の謎 (じっぴコンパクト)

  

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