Q & A

Q21.苗字の分布について                                     戻 る

A21.苗字分布のパターンはおおまかに3種類ある。
 (1)苗字発祥地に集中分布・・・発祥地の地名を名乗り、一族が発祥地を中心に子孫が繁殖した場合。
 (2)苗字発祥地近傍に分布・・・領主が配下の百姓に称えさせなかった為、隣村に移動したものが名乗った場合。
 (3)苗字発祥地から遠隔地に分布・・・武士が遠隔地の地頭に任命されて、一族が集団移動した場合。
 発祥地、出自が複数ある苗字の場合は、当然複数の集中分布が見られ、都市部では異流同苗が混住分布。
 移動の多かったのは鎌倉時代から戦国時代末までで、江戸時代に入ると転封などで武士が移動するなどを除き、移住は極めて少なく、現在の苗字分布の大勢は江戸時代初期に形成されている。
 いち早く鎌倉御家人となった島津氏は薩隅日の三国守護として領国下向するが、随従した家臣団に鎌田、名越、二階堂、秩父、千葉、渋谷、足立、児玉、吉見、川越、豊島、宇都宮、梶原など関東発祥の苗字が多数存在する。
 他に鎌倉武士の工藤氏(北海道、青森県)、千葉氏(岩手県、宮城県)、三浦氏(秋田県)、佐々木氏(岩手県、島根県)、後藤氏(山形県、岐阜県、大分県)等の一族移住、信濃発祥の望月氏(山梨県、静岡県)、村上氏(愛媛県、熊本県)、甲斐発祥の丸山氏(長野県)、近江発祥の近藤氏(愛知県、徳島県)等の一族移住が顕著である。
 また明治以降、都市部では他郷よりの流入人口が多く天下の大姓と言われる苗字が増加したが、郡部においては流入人口が少なく比較的昔からの地方特有の苗字の比率が高い傾向にある。
 比嘉、金城、大城、宮城、新垣の五姓が多数派を占める沖縄県は別として、46都道府県において10大姓が人口の10.6%、30大姓が19.1%を占める。
 従って10人に1人が10大姓を称し、5人に1人が30大姓を称しているが、30大姓以外の工藤(青森県)、大西(香川県)、黒木(宮崎県)が首位にある県も存在する。
    ※10大姓の苗字分布については10大姓の分析を参照。
    ※11位以降の著姓分布については天下の大姓分布地図を参照。
    ※各地域の苗字分布については全国苗字分布地図を参照。 
 

 名字の地図―分布とルーツがわかる わたしの名字はどこからきたの?

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       多姓と難読姓からみた東北人の苗字  あきた名字と家紋   あきた名字物語
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       ふくしまの苗字―200万人のルーツ  伊達郡の苗字と家紋  栃木の苗字と家紋〈上巻〉 (1984年)
        上州の苗字と家紋 (1979年)  群馬の苗字〈続〉 (1969年)  埼玉の苗字―名前風土記 (さきたま双書)
             埼玉県秩父郡の全名字  立川の苗字あれこれ  神奈川生まれの名字―ゆかりの地を探し求めて
              決定版 新潟県の名字  決定版 富山県の名字  決定版 石川県の名字  よくわかる長野県の名字
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Q22.地名と苗字の関係について                                     戻 る

A22.日本の苗字の9割以上は地名から発生している。
 寛政重修諸家譜に掲載1,114家の内991家の地名が存在(89.0%)するこから推測される。
 十大苗字(人口の10.61%)の中で厳密に地名に因らない苗字は鈴木姓のみである。 
 同一地名も多いが大字のみで20万、小字以下の小地名まで数え上げると延べ2000万を超えると言われている。
 明治時代以降の消失地名も膨大な数にのぼり、改称地名や新設地名も数多く存在する。
 従って地名があるからその地名の必ず苗字があると考えるのは早計である。
 同一地名が多い理由は地形が似ていることにも因るが
上古に氏族集団が日本の西南地域である九州から次第に東方に移動して新しい土地に元の出身地名や氏族名、部民名を付けたことによる。
 中村、原、山田、中野、上野、大野、中山、大谷などの地形名、物部、曾我、大伴、穂積、大江などの氏族名、海部、磯部、刑部、日部(日下部)、田部などの部民名の地名が多いのである。 (例:中村地名と中村氏
 その上に大陸や半島からの帰化系諸族の地名も多く、秦(波多、八田、幡多)、漢(綾、文)、白、高(駒、狛)などの付く地名や高麗(狛、駒、巨摩)、百済(久多良、久多羅)などがある。
 また鎌倉時代に北条得宗家譜代の被官が全国の守護や地頭として任地に派遣されるが、例えば伊豆国田方郡長崎郷が本貫の長崎氏が肥前国彼杵郡、陸前国栗原郡、遠田郡に所領を持ち、いずれの地にも長崎が存在する。
 上古まで遡れば同族の土地か、或いは移動により命名されたかのいずれかと思われる。
 
 


国郡全図「近江国」の膳所付近


大日本国細図「伊豆国」の韮山付近

 
 日本古代地名の謎 (1975年) 日本古代地名事典 コンパクト版

Q23.家紋と苗字の関係について                                 戻 る

A23.日本の苗字の多くは、血縁と地縁の混淆により興起している。 この本質を表しているのが家紋である。
 例えばランク1位の佐藤氏は、藤原秀郷の末裔を中核に藤原氏道長流、長家流、村上源氏北畠氏族、桓武平氏服部氏族、菅原氏など数多くの異流が存在する。 しかし、出自を超えて佐藤氏の家紋は、源氏車が圧倒的に多い。
 家紋は地縁集団としての象徴なのである。天下の大姓と言われる他の苗字についても同様である。
 地域的には他の苗字でも同一紋を使用する傾向があり、地域に拠り家紋使用の偏りが存在する。
 都道府県のトップ使用家紋分布を見ると東日本は東京を始め藤紋が多く、西日本は大阪を始め酢漿草紋が多い。
 佐藤姓が源氏車紋に次いで藤紋を多用すること、田中姓が木瓜紋に次いで酢漿草紋を多用することに依る。
 他の地方は美濃を中心に桔梗紋、越中など北陸三県は俗にダラ木瓜、南九州は阿蘇神社の影響で鷹紋、山梨は県内首位の渡辺姓で三つ星紋、静岡は望月姓が多い影響で九曜紋、沖縄は尚家にあやかり巴紋が多い。

 ただし、地名系苗字の多くは、複数の発祥地を持つ場合が多く、複数の家紋や集団が存在するのが一般的である。
 また、本支の別や家格などにより、家紋に○枠の有無や各種輪付きや多彩なバリエーションが存在する。

佐藤氏の代表家紋  榊原氏も同族で同じ家紋。伊勢外宮奉納の絹錦に車紋あり。これに由来する。
 
    ※家紋のバリエーションについては、例:「源氏車紋のバリエーション」を参照。
 
ほかに朝廷、幕府、領主などからの下賜紋があり、一概に苗字と結びつかないこともある。
 
     ※全体的な家紋使用傾向については家紋50傑を参照。
     ※各地域の家紋使用傾向については都道府県別代表家紋一覧を参照。
     ※著名な家系の使用家紋については現代名流家紋抄を参照。
 
 家紋の総数は四万種を超えると推定され、最大の家紋事典である日本家紋総監でも半分しか掲載されていない。
 

主要家紋帖・家紋事典一覧

書   名 著   者 出   版 刊行年 掲載家紋数

日本家紋総監

千鹿野 茂

角川書店

平成5年

20,000

家紋大図鑑

丹羽 基二

秋田書店

昭和46年

7,500

日本の家紋7000

新人物往来社

平成21年

7,000

日本家紋大事典

丹羽 基二

新人物往来社

平成20年

6,278

日本の家紋6000

 

新人物往来社

平成14年

6,000

紋章大集成

古沢 恒敏

金園社

昭和45年

5,500

日本の家紋大全

本田 総一郎

梧桐書院

平成16年

5,116

紋章と象徴

 

野ばら社

昭和45年

5,096

紋づくし

小谷 平七

芸艸堂

大正4年

5,000

正しい家紋台帳

古沢 恒敏

金園社

平成17年

4,920

家紋5000種

家紋研究会

緑樹出版

平成4年

4,820

日本の家紋

 

青幻社

平成18年

4,710

図解いろは引標準紋帖

日本染織刊行会

京都書院

昭和42年

4,560

図説百科 日本紋章大図鑑

 

新人物往来社

昭和53年

4,462

紋典

市田 弥三郎

市田商店

昭和7年

4,400

平安紋鑑ぽけっと版

京都紋章工芸協同組合

京都紋章工芸協同組合

平成10年

4,000

 
 苗字名前家紋の基礎知識 苗字から引く家紋の事典  家系の秘密―苗字と家紋の考証学 (1980年)
       姓氏紋章お国めぐり〈東国編〉 (1978年) 姓氏紋章お国めぐり〈西国編〉 (1978年)
     戦国武将100・家紋と旗指物馬印FILE  大名家の家紋 (1974年)  
      家紋の秘密―あなたのルーツを解き明かす 公家の生まれか、武将の血筋か? (ワニ文庫)  
      新版 家紋から日本の歴史をさぐる  家系・家紋ハンドブック―これであなたのルーツがわかる  
      よくわかる! 名字と家紋 (雑学3分間ビジュアル図解シリーズ)


Q24.家紋の発祥について                                        戻 る

A24.定説によれば平安時代末期の輿車や衣服の文様が転じて家紋が発祥したことになっているが、古代バビロニアの神殿遺跡には菊花紋を始め花菱、亀甲、舞鶴、揚羽蝶、三桝、三階菱、四目結、九曜などが見られる。
 バビロニアの菊花紋はサバ王国、ヴァン王国、ペルシャ王国の紋章として興り、イスラエルのイスタル門にも見られユーラシア大陸の東西に次第に伝搬したことがうかがえる。 またヨーロッパにも波三文字、三並び金輪、直違い菱、麻の葉、繋ぎ鷹、並び斧、五段梯子、松笠などの類似した紋章が見られる。
 十六弁菊花紋は旭日をデフォルメしたもので、日神の象徴として天皇家も用いているのである。
 また出雲大社の亀甲紋も六光紋のヴァリエーションであり、三島大明神や越智氏が用いている折敷に三文字紋も「明治神社誌料」によれば本来は角切菱(亀甲)でバビロニアの海神マルドゥクの紋なのである。
 三文字紋は月神シン(ナンナル)を表わす楔形文字で、越智氏族の家紋がバビロニア起源であることがわかる。
 神話に登場する人物名の××命(尊)はシュメール語のミグトの転訛、天皇を表わす皇尊(スメラミコト)はシュメール・ミグトの転訛であり、家紋と並び名前もバビロニア起源となり重ねて信憑性を裏付ける。
 しかし沼田頼輔博士の「日本紋章学」の大冊が難攻不落の城壁の如くそびえ立ち、紋章の悠久なる歴史とグローバルな広がりに対する現代歴史学者の挑戦意欲を失わせていることも事実である。
 

 日本紋章学 (1968年) 日本家紋総鑑 家紋大図鑑 都道府県別 姓氏家紋大事典
       都道府県別姓氏家紋大事典 (西日本編)
       ユダヤ人と日本人の秘密―古代史最大の謎 聖書と家紋が明かす真説・日ユ同祖論 (ラクダブックス)


Q25.名前のような苗字は、なぜ生じたのか?                            戻 る

A25.荘園(庄園)は多くの名田から構成され、名田には名主として固定化した荘官職(庄司、下司、別当、専当などの役職)名が付けられ、後には小名と呼ばれるようになる。
 中には百姓の台頭が著しい地域において、百姓の名前を付けた百姓名が地名化して末貞名、有友名、助貞名、国末名、国則名、則行名、則元名、安近名などになり、後世にこれらの荘園から発祥した末裔がこの発祥地名を称して苗字化したものが主な由来である。
 現在この形態の苗字は、山口県をはじめ西日本に比較的多く見られる。
 
 日本史小百科〈3〉荘園 (1977年)


Q26.東北地方の金氏と朝鮮の金姓は同族か?                         戻 る

A26.現在の韓国における金姓は約880万人(第1位)で、約5人に1人が金を姓とする。
 中国東北地域(俗に満州)の北方諸族が南下して朝鮮半島諸国を建国しているが、中核を形成するのがツングース系扶余族であり中国への朝貢政治を通じて漢姓化の際、多くの場合慣習的に金姓を選択している。
 上古は朝鮮諸国から日本への移民も活発で、特に新羅からは天日槍命の来朝を代表として山陰、畿内、北陸、奥羽地域への移民が多く金姓を称したものが多いが、後世多くは朝廷から二字姓を改賜姓されている。
 中でも朝廷の支配が遅れた奥羽地域は改賜姓が少なく、金姓が多く残存した様に考える。
 我が国では養子による家系継承も多く、源氏、藤原氏、安倍氏、清原氏、小野氏などに改姓した例も多い。
     金姓略系譜
 
  新羅の神々と古代日本―新羅神社の語る世界  天日槍―帰化人第一号神功皇后外祖母家


Q27.十六藤とは?                                        戻 る

A27.藤原氏を出自としている名数表にある佐藤、伊藤、斎藤、加藤、後藤、近藤、遠藤、工藤、安藤、内藤、須藤、武藤、進藤、尾藤、神藤、春藤(人口の多い順)の十六苗字のことである。

  由     来

佐藤

左衛門尉藤原氏。佐野藤原氏。

伊藤

伊勢藤原氏。伊豆藤原氏。

斎藤

斎宮寮頭藤原氏。

加藤

加賀介藤原氏。加賀藤原氏。

後藤

藤原氏後裔の意。

近藤

近江掾藤原氏。近江藤原氏。

遠藤

遠江守藤原氏。遠江藤原氏。

工藤

木工助藤原氏。

安藤

安倍藤原氏。

内藤

内舎人藤原氏。内蔵助藤原氏。

須藤

那須郡司藤原氏。那須藤原氏。

武藤

武蔵守藤原氏。武者所藤原氏。武蔵藤原氏。

進藤

修理少進藤原氏。

尾藤

尾張守藤原氏。尾張藤原氏。

神藤

諏訪神家藤原氏。

春藤

春日藤原氏。

 多くの×藤系苗字は国名略+藤、あるいは官職名略+藤のパターンである。
 この中で安藤は安倍氏、春藤は春日氏が本姓で藤原氏を仮冒したとする説も存在する。
 十六藤以外にも江藤は大江氏、在藤は在原氏、菅藤は菅原氏、紀藤は紀氏、伴藤は伴氏、海藤は海部氏、守藤は守部氏などの類例が多いことである。

 

 

 

 

 


Q28.武蔵七党に属する武家集団とは?                             戻 る

A28.平安時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武蔵に本拠を置く武家集団で、分布は下野、上野、相模まで及んでおり、武蔵七党の呼称は南北朝時代に形成されたようである。
 「武蔵七党系図」によれば横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党の七つだが、「書言字考節用集」では丹治、私市、児玉、猪俣、西野、横山、村山を挙げ、「武家職号」では丹治、児玉、猪俣、私市、西野、横山、都築を挙げており数え方が一定していないのである。 出自は丹党が大丹生氏、横山党、猪俣党が小野氏、野与党、村山党が平氏、西党が日奉氏、私市党が私市氏、児玉党、都築党が藤原氏を称する。
 「源平盛衰記」や「太平記」、「吾妻鏡」などの軍記物語から、各党の当時の活躍がうかがえる。
 中でも児玉党は後世に関東のみに留まらず、陸前、越後、安芸、備後など全国的な広がりを形成している。

武蔵七党姓氏一覧

横山党

横山、井田、毛利田、宇津幾、皆河、武佐、目黒、八野巻、椚田、海老名(上・下)、本間、国府、三間、荻野、成田、中条、刈田、小田沼、中野、藍原、平子、野部、山崎、鳴瀬、古郡、小倉、由木、室伏、塩部、大串、倉加野、川口、千与宇、伊平、樫井、樫生、萱生、吉野、古市、田屋(田谷)、八国府(矢古宇)、山口、愛甲、別府、玉井、小子、平山、石川、古沢、小野、古庄、中村、大貫、小補摩、田名、小沢、中村、金、小俣、糟屋、由木

猪俣党

猪俣、荏原、河勾、太田、人見、甘糟、古郡、三輪寺、藤田、山崎、岡部、内島、蓮沼、鬼極、小栗、男衾、横瀬、野部、幕士、御前田、飯塚、今泉、桜沢、木里、尾園、無動寺、友庄、野沢、井沼、木部

野与党

野与、多名、金、鬼窪(北・南)、白岡、渋江、萱間(柏間)、道智、多賀谷、道後、笠原、大蔵、西脇、箕勾、大相模、利生、戸田、柏崎、須久毛、渋谷、八条、金重、野崎、利江、高柳

村山党

村山、大井、宮寺、金子、桑原、山口、須黒、横山、仙波、広屋、久米、荒波多、難波田、小越

西 党

西、駄所、長沼、上田、小川、稲毛、平山、川口、由木、西宮、由井、中野、田村、立河、日村、狛江、信乃、高橋、清恒、平目、田口、二宮

児玉党

庄、本庄(西・東)、具下塚(久下塚)、木西、善泉、牧西、若水、四方田、宮田、蛭河、今居、阿佐美(浅見)、花戸田、栗栖、小中山、塩屋(塩谷)、奥、児玉、富田、薦田、長袖、新生、中条、金沢、新里、鳴瀬、里岩、岡崎、入西、浅羽、堀籠、長岡、大河原、小見野、栗生田、小代、越生、高坂、平児玉、秩父、与嶋、岩田、竹沢、多子、小幡、倉賀野、大類、稲嶋、柏島、片山、新屋、大淵、島方、真下、御名、大浜、奥平、白倉、吉嶋、富野、山名、鳥名、小河原、木西

丹 党

桑名、丹、中村、横脛、古郡、大河原、塩屋、岡田、小鹿野、長田、坂田、大窪、栗毛、弥郡、薄、織原、横瀬、岩永、秩父、勅旨河原、新里、由良、安保、瀧瀬、長浜、青木、飯岡、榛沢、小島、志水、村田、相原、高麗、加治、桐原、肥塚、判乃、白鳥、岩田、韮山、山田、井戸、野田、三沢、竹淵、小原野、黒谷、堀口、南新居、由長、藤矢淵、野上、井上、葉栗

 軍記武蔵七党 (1985年)


Q29.源経基は清和源氏か、陽成源氏か                            戻 る

A29.陽成源氏は明治の歴史学者星野恒博士の説で、石清水八幡宮祠官田中家文書の中に源頼信が誉田山陵(応神天皇陵)に納めたと称する永承元年告文に「先人新発、其先経基、其先元平親王、其先陽成天皇、其先清和天皇」と明記してあることが根拠である。
 これを検証するにあたり元平親王の生年が寛平2年(890)以降であること、貞純親王の没年が延喜16年(916)であることを念頭に置くことが重要である。
 次に源経基の生年に寛平9年(897)、延喜16年(916)、延喜20年(920)などの諸説がある。
 寛平9年説を採ると元平親王が七歳以下で、星野説は崩れる。 延喜16年説が多いが貞純親王の没年と同じで、旧説もしくは星野説のいずれかである。 延喜20年説では貞純親王の実子は不可で、元平親王の実子となる。
 また元平親王には源兼名という実子があり、元平親王の実子ならば経基でなく兼基と名乗るのが自然である。
 後世に六孫王と称され、大鏡や東鑑が清和源氏を出自としていることから、清和天皇第六皇子貞純親王の実子で貞純親王没後に元平親王の養子になったのが真相かと考える。
 陽成源氏が定説だと現今でも振り回す歴史研究者もあるが、「読史備要」、「国史大辞典」、「日本歴史大辞典」などの信頼性の高い史書は陽成源氏説を認めていないのである。
 「頼信告文」は偽物の疑いが濃いが、百歩譲って偽物で無いとしてもそれは河内石川庄の伝領(相続)順序が、
貞純親王−陽成上皇−元平親王−源経基−源満仲−源頼信 となっているからに過ぎないのである。
 
      陽成源氏説否定文献→源頼信告文の真偽(宝賀寿男氏)、
                    世ノ所謂清和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考(赤坂恒明氏)
      その他の異説→家系は陽成源氏、相続は清和源氏
 


Q30.楠木正成は左大臣橘諸兄の末裔か?                           戻 る

A30.楠木正成の出自は、太平記巻三に「敏達天皇四代の孫、左大臣橘諸兄公の後裔なり」とあり、尊卑分脈橘氏系図にも橘盛仲−楠木正遠−楠木正成と記載、また多くの楠木系図も同様である。
 しかし楠木系図諸本の親子関係に異同が多く、中には熊野国造裔とするもの、熊野新宮神裔とする異説もあり、信憑性が今一つの感がある。 今日の史学界では熊野国造裔が有力視されている。
 これは家系と血系とを混同した思想で、家系とは家督と先祖祭祀を継承するものであり必ずしも血系の継続を伴うものでなく、家系継承用語に養子(女系あるいは縁戚による家系継承)と猶子(非血縁による家系継承)が存在する。
 多くの楠木系図や縁戚の系図を眺めれば、和田正遠が橘盛仲の家系を養子(あるいは猶子)により継承して祖父和田成氏の旧姓楠木に復姓したことが解かる。 また橘氏そのものが各地の豪族に橘姓を与えた節がうかがえる。
 家系的には橘氏であり、血系的には越智氏(但し厳密な血系は紀氏)の系譜を引くことが解かる。
     ※家系の詳細については姓氏類別大観を参照のこと。 

  

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